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グローバル女子育成プロモーターのYUKOです。

さて、前回は、
カナダから帰国後日本で仕事を始め、
その後、黒歴史が始まったところまでをお伝えしました。
(前回の記事はコチラ
そこからいかに立ち直ったかをお伝えするその前に、
今回はその黒歴史がどんなものだったかをご紹介したいと思います。
人によっては、こんなモン暗黒でもなんでもないわ!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが
今同じような事で悩んでいる、こじらせグローバル女子ってきっといるだろなーとこれまでの経験で思うので
彼女達の背中を少しでも前に押せたらうれしいです。

本日は長くなりますのでご承知おきを。
では早速。

日本で仕事するぞーい!!!
と、意気込んで新しい街、新しい職場でサラリーマン生活を再開した私。
その職場を選んだ理由は、以下6点。

・自治体と一緒に広告事業を展開する新しいビジネスモデル(街づくりの一環になるのが面白いし広告業界にも馴染みがあった)
・英語を使えること
・将来的にマネージャー経験ができること
・これまでの営業経験が活かせること
・会社の雰囲気がゆるやかで良い感じ
・長く努めることができること←実はコレが当初の一番の目標(優先順位おかしいw)

当時募集していたポジションが営業事務。
営業経験を活かせる職種を探していたので、キャリアダウンにはなるけど
長く勤められそうだし、マネージメント経験も積めるかもと、結果的にちょうど良かった。

そうして入社1日目、、、、
私のポジションでは目指していたチームリーダーになるなんて夢のような話だった事がソッコー判明。
面接時に他にも同様のポジションの方が数人いて、みんな平だしチームリーダーのチャンスは全然あると聞いていたのに、
実際にはそんな人はおらず、私、完全に単独ポジション。
じゃあ、他のポジションへのチャンスはというと社内公募システムなんてなく、
空いたポジションは基本外から採用して埋めるのが外資。

「おいおい、聞いてた話と違うよ。。。人の人生なんだと思ってんだよ!!」

いわゆるブラックってやつですね。(面接官でもあった私の部長となる人が大変ブラックだった)
もうその時点でキャリア構築への道はある意味断絶されていたし、
確実に会社への信用も一気に薄らいだのですが、
入社1日目で辞表を出す訳にもいかないしと他を探す選択はしませんでした。
因みに余談ですが「んー、ここにいたら私結婚できない気がする。。。」と
入社2日目に感じたあの感覚は間違っていなかった。。。

とはいえいざ働き出すと、
かなり自由度の高い職場だったのが性に合い、
根っからの向上心、根気強さ、真面目根性、馬力が全開。
小さい会社だったのもあり、社内外の信頼を物凄いスピードでガツガツ積み上げていった。

因みに私の当時の名刺は「セールスアシスタント」となっていたのだけれど、
いわゆる営業サポートもやるけど、それは片手間で。
別途、私が単独で担当するメインタスクがあり、そこから売上を作るという仕事をガツガツやっていた。
因みに英語を業務で使用する頻度がこれまた面接で聞いていたのよりも
余りにも少なかった為、自ら海外支社と連携して英語を使う仕事を作ったりしていた。
せっかく海外に行っても日本での仕事は全く英語を使わないグローバル女子ばかりなのが実態。
私はどうしてもそれが勿体無くて、自ら仕事を増やしてでも海外経験を実際に活かせる業務を作ったのだ。

入社して半年ほど経った頃、会社の過渡期の到来。
更なる売上拡大の為、
サポート対象の営業も東京本社の6人→全国に散らばってる15人へ。
当然、サポートは私1人のみでサポートポジションの追加採用はなし。
その散らばっている営業へは誰も育成をしないので、何故か私がベースを育成することに。
ついでに各地方で営業と二人三脚してくれる人や環境を育成&セッティング。

営業は人数が増えてもやる事も量も変わらないけど
営業が取ってきた案件をまわす私は、多岐に渡る業務がそれぞれ一気に3倍に。
他部署のお局様がその案件数に逆ギレし業務放棄。
更にはそのお局様を擁護するお局直属の部長。
知らんぷりする私の上司と社長。
お局何故動かない、そもそも普段から感じ悪すぎると便乗逆ギレする営業。
困っているお客様。
そのお客様から担当営業すっ飛ばして、何故か直接連絡を受ける私。
残業、担当業務範囲越えの仕事、残業、担当業務範囲越えの仕事、残業、、、、、、、

これだけではとどまらず
ここから更に新事業プロジェクト2つに強制参加。
定時後、部長の帰り際に突如明日の朝イチまで提出と振られる仕事。
営業も定時帰宅。
残業時間中に定時帰宅した営業からの作業依頼の電話が鳴りやまない。
営業が対応し忘れて帰った業務で困っているお客様から電話を受け、責任が持てる範囲だけで緊急対応。

私自身どれだけ売り上げを立てても、営業ほど給料やボーナスに反映されず。むしろ記憶されてもおらず。
「これ以上の業務量は責任が持てない」と上司に訴えるも
「仕事って、できる人のところに集まるから」と言われるのみ。
隣に座っていた別部署の女の子から
「私の仕事もキツイけど、あなたの仕事は私は絶対にやりたくない」とわざわざ言われ。。。

ある日受付からの電話を取ったら、人材会社の方が部長に用があり来社されていたようで部長に伝えたら
「じゃ、よろしく」の一言。何を宜しくされたのやらと思い受付に行くと
営業を新しく採用するとの事で、毎回のことながら本人への事前連絡なしに今度は人事業務までやることに(因みに2年連続)。。。

セールスアシスタントという肩書きと業務範囲に乖離がある事も訴えたのだが
肩書きを変えると給料をあげないといけなくなるし今は営業を採用したいから昇給も肩書き変更も無理と言われ。
もう、帰宅途中の電車の中では、
会社の人達の度重なる自己中心的すぎる振る舞いに怒りがふつふつとこみ上げて来て、
気づけば降りるべき駅を通り過ぎ、戻る電車もすでに終了、結局タクシーで家路に着くことも数回。。

「そんなに頑張ってもこの会社では報われないよ」と口を揃えて言う
人生をもう諦めたかのような会社の人達への失望。
私自身の不甲斐なさ、先の見えない人生、友達の昇進への嫉妬、結婚や年齢の漠然とした焦り、
疲労、日常的な睡眠不足、家路につき何のきっかけもなくいきなり涙が出て来たり、、、

気がつけば、周りの人が何やら楽しげに笑っていても、私は全く笑えなくなっていた。

そして私の事を応援してくれていた社内の協力者に対しても距離を取り
どんどん自分の殻の中に閉じこもっていった。

「私、何してるんだろう、、」
「カナダにいた頃はもっと自由だったのに今はすごく窮屈で自分らしくない。。」
「私がいるべきところはここじゃない気がする、、でも海外に住むことは今となってはあまり考えられないし。。」
「色々やって来たけど、結局私のキャリアって何?これまでの時間無駄にして来たんじゃないだろうか。。」

こんな悶々とした日々が5年。。。。

完全に鬱だった。

この状態からどうやって這い上がったのか。
続きは次回に!

つづく。